まえだのくせに生意気だっ!

カメラ、登山、旅行と週末をエンジョイする為に平日は魂をすり減らして頑張るソーシャルパーソンですᕙ(ಠ ਊ ಠ)ᕗ

激録。まえだ密着24時。


忙しい忙しいとは言ってもブログ用の写真を撮るのは欠かさない。どうもまえだです。


私がこのブログを書いているということはどうにかこうにか死のロードの週末を乗り越え、ハウスキーピングの連続シフトに勤しめていると言うことだ。


今日は私が激動の週末をどう過ごしたかを綴っていきたい。

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2016年5月21日


AM

朝4時半に目が覚めた。
前日に8時頃に寝たので体力は全快である。

「これはいける」



眠気のない状態にこれから迎える激闘の2日も乗り切れるんじゃないかと感じる。


5時になるとパブリックエリアのハウスキーピングが開始する。


土曜日は、フライデーナイト終わりと言うことで一番散らかっている。


そのため、12時に終る予定が1時までずれ込んでしまった。


PM

まだ体力が快調だったこともあり、当初の5時スタートではなく二時間早く3時スタートから日雇いをすることを決意。


この時点で、当初予定していたハウスキーピングジョブから日雇いキッチンハンドジョブの間で仮眠する予定だったがその時間を捻出するのが難しくなる。



イベント会場は現在住んでいる宿から徒歩四キロあるので、車で送ってる人か自転車を貸してくれる人を探すことにした。


しかし見つからなかった。


四キロの道を歩くことにした。
仕事場ではセーフティブーツで働くことになっていたので従来のランニングシューズより歩きづらく疲れが溜まってきた。


この時、これから10時間続く日雇い仕事と翌日の早朝にあるハウスキーピングの仕事を乗り切れるか不安を覚えた。


翌朝の「これは行ける!」という謎の自信はうち下れていた。




3時からキッチンハンドの仕事がスタート。

最初は、料理の盛り付けをしていたが休みなしのたちっぱなしで足が棒のようになりはじめる。


朝から夜の9時頃までちゃんとした休憩を取っていなかったので身体にがたが出始めた。



そして9時以降から盛り付けから皿洗いへ働き場が配属される。


皿洗い場になると、日本人の男性一人しかいなかった。


盛り付けの時はシェフの監視下に合ったがここは無法地帯であった。


ここで程よく明日に備えて体力回復を図ろうと画策する。



皿洗いのキッチンに椅子を勝手に持ち込み座りながら作業にする。



しかし、今までの疲労が抜ける訳でもなくまともに二足歩行が出来なくなっていた。


そして履きなれないセーフティブーツのせいか靴擦れを起こしていた。



両足だ。


ちなみに、この皿洗い中にレッドブル3本とエナジードリンク2本を30分毎にチャージして疲れを何とか誤魔化すことにした。



2016年5月22日

気付いたら日付も変わっていた。
そして日雇い仕事は午前1時45分まで続いた。



朝から合算して18時間以上の労働を既にしていることになる。





イベント会場から宿までの4キロの道のりを歩いて帰るのは無理だ。。。


率直に思った。しかし、幸いなことに同じバッパーに滞在する葉っぱなどでイカれ気味のイタリア人が乗ってくか?と言ってくれた。



おかげで4キロの道のりを歩かずに帰ることが出来た。


この激動の労働24時間を乗り越えられるのもイタリア人の彼が影の功労者と言っても過言ではないかもしれない。


そして2時頃ホステルに着いた。


多分寝たら朝に起きれないな。


確信とも言える。


コーヒーを一杯飲んでカフェインを投入しオールでハウスキーピングを迎える事を決意。


アドレナリンが分泌され、俺は行ける!俺は行ける!俺は行ける!俺は行ける!


ナチュラルハイになっていた。
しかしこのナチュラルハイの状態は仕事の始まる5時前には電池が切れていた。


ここからはカフェイン漬けでハウスキーピングをなんなかんやで乗り切ることにした。


いつもは時間一杯までかかる仕事が忙しくなく一時間早く終わってしまった。


眠気に負けず仕事をするのが非常に辛かった。



しかし、なんとか気力を振り絞り土日計24時間以上の労働タイムを終えることが出来た。


そして宿に戻ったらベットにダイブして深い眠りに着いた。



これが人生で一番働いた週末と言っても過言ではない。



二度とこのような無茶なシフトを打ち込まないと決意した週末でもあった。


See you next time...